2010年11月22日月曜日

憲法12条と私の考え

 ほぼ1ヵ月ブログか消えたしまって申し訳ない。この間、ほぼ1~2日に1件の割合で相談が入ってくる。電話だけで済むものもあれば、何回もあってお話し合いをしなければならないものもある。ついつい時間がなくなって書けなかったことをお詫びしたい。

 さて、憲法12条は次のとおり定めている。

 第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 ここから導き出されるわたしの結論は、人権侵害には断固たる態度で臨み、人権と市民文化の息づく街高槻市を作ることである。そのためには、地域作りの運動、自治会活動、住民の自主的活動などにもっと活気をもたらさなければならない。

 例えば自治会活動、何故今のように役員さん自身不満を持ちながら地域活動を進めていかなければいけなくなるのか。高槻市が自分がやらなければならないことを、あらかじめ市の側で枠を決め、これを住民組織に押し付けるから住民の自主性が発揮できないのである。
 こんな話がある。市は独居老人の施策に力を入れ(?)、その枠を限定してこういう事業をすればいくら補助すると団体にもってくる。ところが団体の側は地域の実態をもっとよく知っていて、どういう世帯が一番今大変なのか知っている。それは1人暮らしの元気な高齢者を助けるより、老老介護ののっぴきならない世帯を助けることの方がもっと前にしなければならない施策だということを知っているのだ。住民の側は何度もそれを市側に提起する。しかし、市側は予算を消化するのに熱心で、住民の声には耳を傾けようとはしない。ここに溝が出来るのである。市はもっと「住民組織の側の意見を聞け!」これがまず第一番に私の言いたいことである。

 上に書いたことも老老介護をする老人に対する差別であると考えるが、こうした老人差別、障害のある人への差別、女性差別、民族差別、そして特別措置法終了後も依然残ったままの部落差別がある。その類は書ききれない。

 このうち、部落差別に対する私の考えを書きたい。部落差別は究極の人権侵害であり、絶対にあってはならないことである。今も残るあらゆる格差を是正していくとともに、非科学的な偏見に基づく言動が受け入れられない状況を作り出すことがなんとしても重要だと思う。
 市は市営住宅建て替え工事の計画を来年3月までに作るという。しかし、その当事者には、その進捗状態が一部を除いていっこうに知らされていない。住まいは、衣食住といわれ人間生活の基本的な要件の一つである。これを当事者抜きで解決していこうというのは言語道断で、住民側の意見を反映させるため、住民組織とともに住民の側の意見を反映できるよう闘っていく以外にない。その場合大事なことは、現在の居住者の権利を最優先することであり、今の住宅より狭い部屋への転居を強制したり、家賃の大幅引き上げなどはとうてい認められない。また、低所得で頑張っている人たちに「悪質滞納者」のレッテルを貼り、裁判をしてまで立ち退かせようとするのも問題だ。これに対する反対運動も起こさなければならない。
 狭山事件の問題も忘れてはならない。事件発生当時被差別部落に対する見込み捜査で不当逮捕され、無実の罪で投獄された石川一雄氏の潔白をはらすため、東京高検が全ての証拠開示を行うよう強く求めたいと。

 市の各種審議会についてももっとオープンなものにする必要がある。市の審議会委員は市の選考制ではなく、公募制に改めなければいけない。さらに、その半数は女性とするなど、女性差別を許さない立場とも連動させる必要がある。

 その他、北部・東南部・東部への図書館建設や巡回図書館機能の充実。旧陸軍高槻地下倉庫(タチソ)を保存して朝鮮人強制連行、強制労働の歴史を伝えること。今も残る民族差別をやめさせること。等々様々な課題がある。

 以上が私の住民運動息吹く高槻市、人権侵害には断固たる態度で臨み、人権と市民文化の息づく街高槻市構想の一部である。