2010年10月9日土曜日

障害者福祉

 夏バテでブログが途切れて大変申し訳ない。今日は10月初めての書込になってしまった。

 今日は障害者施策について書きたい。

 高槻の障がいのある方々の集会に行って不思議に思うことがある。それは車いすに乗った障がいのある方が非常に少ないことである。大阪府の集会や対府交渉に行くと車いすに乗った障がい者の方、障がい当事者の方が圧倒的に多い。当然発言は障がい当事者の発言が主になるし、議事進行も障がい当事者が行われる。
 ところが高槻市では、障がい当事者よりも保護者代理人の方が多いから、当然発言も私も含めて代理人の発言が中心になってしまうのである。各種審議会委員も代理人の方が多い。もっと障がい当事者が参加されてしかるべきと思うがいかがだろうか。
 何故こんなことを言うかというと、障がい当事者と代理人の利害関係は一致しているかという問題があるからである。私の答えは否であり、むしろ対立することも多いし、障がいのある方自身から学ぶことなくして運動は進まないというのが私の基本的スタンスだからである。まずこの点を明らかにしておきたい。
 
 今障がいのある方の間で一番大きな問題は障害者自立支援法の行く末の問題である。昨年10月末の集会で、当時の長妻厚生労働大臣はきっぱりと「障害者自立支援法は廃止する。」ことを明言したが、その後の成り行きを見ていると、どうもこれが揺れ動いているのである。
 私たちは、この10月29日に、東京日比谷音楽堂で、「いまこそ進めよう!障がい者制度改革 自立支援法廃止と新法づくりを確かなものに 10.29全国大フォーラム」をもち、この問題を大いにアピールする予定でいる。
 その自立支援法でも、食費を含む応益負担の完全排除、バウチャー制につながる契約による代理受領制度の廃止、障がい概念の拡大と医学モデルから社会モデルへの転換、65歳以上の介護保険優先原則の廃止、重度障がい者の24時間介護の実現で全ての障害者の自立を保障する等は全く譲れないところである。

 高槻市を例にとれば、医療的ケアを要する障がいのある方のショートステイの実現も大きな課題である。これが実現されないと病気も出来ないというのが介護者の実態であるし、ショートステイを病院でするのはやめてほしい。生活し切でやってほしいというのが当事者の声である。

 さらに、入院入所している場合でもサービスを受けたいという声もある。これも当然の要求である。

 障害児教育についてもしかり。聴覚障害のある児童は大阪鶴橋の聴覚障がい支援学校まで保護者が毎日送迎を行っている。市を追求すると、教育が保障すべきか福祉が保障すべきかという問題があると言う。しかし、50年あまりも論議して結論が出ないことの方がおかしいのであり、早急に保障されて叱るべき問題だと私は思う。

 また、福祉職場で働く労働者の賃金は低すぎる。全国組織の福祉保育労働組合は月額4万円の賃金引き上げを要求しているがこれも当然の話である。
 最近障がいのある方々から「制度は一定整備されたけれど、以前の方がよかった。」という声を時々聞く。私は、制度が一定整備のに悪くなったのではなく、低賃金による粗悪な介護、技術偏重の介護、定式的な介護、障がいのある方の個性を認めない介護介護者と介護される物の心のふれあいの問題がこうした声を生んでいると考えている。介護はものの売り買いではない。人間同士の心の通い合いがあってこそ初めて成り立つ関係である。当然そこには「余裕」というものがあって初めて成り立つ労働だと思う。ところが、物の売り買いの論理、もうけの論理がここでも貫徹され、介護労働をゆがめているのだと思う。そんな中で、「昔の方がよかった。」という声が出始めているのではないかと思う。早く手を打って、介護労働を働く者の力で本来の「介護労働」にしなければならないという課題がここにはあるように思う。

 こうした中で国家責任に基づく「障がい者総合福祉法」を制定する。これが私たちの悲願である。

 次にバリアフリーの問題について触れたい。
 高槻のバリアフリーの課題は遅れすぎている。肢体不自由児者父母の会を中心に障害者団体は20数年にわたって学校にエレベーターを設置するよう要求しているが、いっこうにことは進まない。最近になって芥川小学校体育館にエレベーターが着いたがこれは日常使用する物ではなく問題外だ。早急に他の北摂年並みに整備することを求めたい。
 その他にしても同様である。例えば市役所に行ってトイレに入ってみてほしい。いまだに和式便器がならんでいる。学校でも同様で、洋式便器になれた児童が戸惑う事態も生じていると言う。
 改善されたというJR東海道線の富田西踏切に行ってほしい。ここは何人かのお年寄りや障がい者の方が向こう側に渡りきれずに亡くなったという問題踏切である。先般、電動車いすに乗った方が渡りきれずに亡くなったことがきっかけで整備されたが、行ってみると確かに電動車いすでは渡れるようになっていた。しかし、老夫婦のどちらかに障がいがあって車いすを使っておられるような場合、この踏切はなお使えない踏切なのである。何故か。踏切に至るスロープが急すぎること、長すぎることで最後まで高齢者のは押し切れないのである。傾斜角度などが基準にさえ合っていればなんでもいい。私にはそんな行政の考えが見え隠れ仕方なかった。
 阪急高槻市南の高槻城址に障害者福祉センターがある。9月議会でも問題になったが、阪急高槻駅からこの会館に行くのに点字ブロックがないのである。これは高槻市の障害者団体が障がい者週間に歩いて何度も確認していることであるが、いまだに整備されようとする気配もないとは一体どういうことなのかこれもわからない。 

 要するに私の言いたいのは、高槻市の行政全てに障がいのある人の権利条約に言う「障がいのある方への合理的配慮」がなされているかどうかという問題である。この視点で今後とも姿勢を点検し、提言していきたい。

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