2010年8月11日水曜日

なぜ行政は放置したのか

 各地で行方不明の高齢者の居場所がわからないという事態が起こっている。行政側は調査して居住していないことが確認された場合には住民票を職権削除するという。確かに住民基本台帳法上は適法な措置である。しかし、この措置で一件落着と考える人はいるだろうか。それは役人だけの世界でつじつまがあってよかったねというだけの話であって、何故これまでわからなかったのだろうというのが誰しもこの事件について思う感想ではないだろうか。一体そのお年寄りは今どうしているのだろうか。これこそ万人が持つ感覚である。
 まず、お年寄りだから年金をもらっておられる可能性が高い。年金はご承知の通り年1回の現況届が必要である。この届け出はどうなっていたのだろうかという疑問がわく。現況届を促す文書が「転居先不明」「宛所に尋ねあたらず」で帰ってきたり、届け出がなければ「どうしたのだろう?」と考えるのが普通の人間の感覚だろう。ここでも旧社会保険庁は「普通の人間の思考方法」をもっていなかったし、非常に想像力に乏しい仕事をしていたことになる。
 ならば市町村はどうか。90歳を超えるお年寄りには敬老祝いが送られるケースが多い。我が高槻市でもこの制度があるが、私が母の時に経験したのでは、ただ宅急便で荷物が送られてくるだけである。本人確認はしない。敬老乗車証の制度もある。これも郵送されてくるだけで本人確認はない。昔はヤクルトがお年寄りに配布されていた時期があったとも聞く。この制度はなくなってしまった。さらに来年からは敬老祝い品の贈呈事業も縮小されるとのことである。どうなっているのか。
 こうしたお年寄り向けの制度には、単にお年寄りを優遇するにとどまらない地域の福祉を守るという大事な側面があることを忘れている。わずか数百万円の節約で「いのちの絆」という大事なものが失われていく。そこに行政担当者の想像力は及ばないのだろうか。行政から「福祉」も「いのち」もその感覚がなくなっていく。我が師、小西市議の「いのち第一、福祉は権利」が如何に今や貴重な旗となっているか改めて思うのである。

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