2010年8月21日土曜日

脳死と臓器移植

 今日は山口研一郎さんを招いての『脳外科医山口研一郎さんが斬る「脳死・臓器移植法」て何や?』の勉強会だった。山口研一郎さんは我が高槻市の誇る全国区の脳死・臓器移植の強力な論者である。

 これまで臓器移植はドナーカードによる本人の正確な意思表示を定めていたし、臓器移植の時に限ってのみ脳死が認められていた。関心があっても無関心であっても、脳死と臓器移植とを認め合う人たちの間だけの問題で事足り、この問題に巻き込まれることはなかったのである。

 ところが、これが7月17日の臓器移植法の改悪で、脳死臓器移植は一人一人が対策を立てねばならない問題になってしまったのである。何故か。臓器移植に拒否の意志をはっきり示していないと、いつ脳死判定され、臓器移植されてしまうかわからなくなったからである。しかし、「臓器移植拒否」の意思表示というのは大変難しい。ドナーカードはみんなが持っているものでない以上、早い話、破り捨てられら終わりだからである。前もっての勉強会では、体に入れ墨をしておかないとだめなのではという冗談まで飛び出したくらいである。冗談が冗談で終わらないところにこの問題の怖さが潜んでいる。

 今日も「臓器移植」の概念のないところに「脳死(正しくは脳不全)」概念もないと先生はおっしゃっていた。
 臓器を得たい(買ってもいいという人が当然のごとく含まれる)人と、臓器を提供してもいい(売ってもいいという人も含む)人が、医師の最新の知見によって結ばれているように見れるが、( )内と( )内を結びつけると、そこには商売が成り立つ。臓器移植で儲ける人たちの存在である。これは仲介業者だけをさしているのではない。医療産業、製薬産業その他移植医療にまつわる全ての資本をさしている。
 そして売ってもいい人たちというのは、自由意志で売るのではなくやむにやまれず売らざるを得ない人を私は想像するし、買ってもいいという人たちは、お金で何でも解決しようと考えている人たちという構図を考えてしまうのは私だけだろうか。移植医療は自己完結では終わらないということは誰でもが知っている。ここがこの医療の最大の欠陥であり、私からすれば医学的治療の名に値しない非医学的な処置であるということだ。
そこには「善行」賛美の裏に隠れた醜い「取引」が潜んでいると思えてならない。

 それではマスコミがよく持ち出す移植以外方法が見つからない患者をどうすればいいのだろうか。医師から移植以外に助かる道がないと告げられたとき、何とかそれにすがろうという気持ちはわからないでもない。しかし、それはレシピエントが移植は「医学的治療」であるということを考えているからであり、私のように「非医学的処置」と考えているものとの間には深い溝があると考えざるを得ない。今日も先生がおっしゃっていたが、「医療というものは、その人のためだけにある」ものであり、そこに他者の都合を考える余地のない行為だからである。

 臓器移植は人工物ではない正真正銘の他人の「異物」を自分の中に取り入れる「処置」であり、激しい自身の正常な免疫機能の抵抗を受ける。だから、正常な免疫機能を抑制する「処置」を一生受けなければならない。このために新たな疾病(癌や感染症など)を生ずることになる事もよく知られているし、さらに精神に異常をきたすこともあることも指摘されている。私からすれば、臓器移植は、体も心も自然体からすれば拒否していることをあえて実施する愚かな行為といわざるを得ないのである。

 私自身は、臓器移植を医学的治療とは考えないし、臓器移植しか残されていないということは、新しい治療法が出現するまで待たざるを得ないし、自分の生命がつきるまでの間にその方法が見つからなければ死を受け入れざるを得ないというのが当然の帰結になる。人の命というものはそういうものであって、それを事実として受け入れないからおかしな議論が出てくるのである。ここでいう死はあくまでも誰にでもわかる死、三徴候死であり、脳死ではない。脳死は臓器移植したい人たちがわざわざ作った概念であり「脳不全」が正しいというのが今日の勉強会での理解である。

 ただ、忘れてはならないのは、移植医療を待っている人たちの人権については最大限の配慮をすべきだということだ。もちろん、私は「移植を受ける権利」なるものは存在しないと考えているが、移植以外の最新の知見に基づく正真正銘の治療のための医療費については無料化が必要だろうし、早期発見の体制や日本のどこに住んでいても最新の治療が受けられる体制づくり、青少年期の場合には教育保障なども重要な課題になってくる。勤労者の場合は休業補償の確立が必要だし、障害者としての認定と介護保障、所得保障等健康で文化的な最低限度の生活を保障することが課題になってくる。生活の場所の確保も必要かも知れない。ここでは移植推進派も移植否定派も手を握れるということである。ここを大事にしながらこれからの論議を進めていきたいと思う。

 しかし、この度の臓器移植法はあまりにも問題の多い法律である。許容範囲は旧法までである。最低限旧法に戻せということを最後に主張しておきたい。

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