2010年8月22日日曜日

脳死と臓器移植Ⅱ

 昨日の学習会に、アメリカのハワイで交通事故にあい、運ばれた病院で医師から脳死を宣告され、臓器移植を進められたが家族がそれを拒否、ご本人を日本に連れ帰って治療して、体に何ら障害が残ることもなく治癒なさった方ご本人が来られていた。それを機会に脳死、臓器移植反対の運動をなさっているらしい。

 ただ、この話を、こうした全く障害が残らない方もいらっしゃるのだから、臓器移植処置を推進することには反対と単純には考えてほしくない。臓器移植の必要性のみから生まれた脳死や脳不全からの改善にも、現代の医学にはやはりその時代の制限があり、完全治癒ばかりでなく、いろんな治癒の段階があってしかるべきと考えるからである。最新の知見に基づく治療の結果、ご本人に重い障がいが残る場合だって当然ある。ご本人自身が脳不全状態からは改善したが、事故の際に腎臓に大きなダメージをおって人工透析をしなければ生活できない場合だって当然あるし(たまたま主治医が脳死移植推進派であれば脳死臓器移植をすすめられるかもしれない)、重度の脳障害が起こる可能性だってあるわけである。そのような場合であっても、昨日の最後にレシピエントの人権保障の項で述べたように、その方の人権が十分に保障されるようにすべきであることは言うまでもないことである。

 こうした押さえをしておかないと、人格のない人間がいるかのような錯覚に陥ったり、その人の人格が見えなくなったりしてしまうという誤りを犯し、人格のないものは殺しても何ら問題ないとの20世紀の最大の誤りを再び犯してしまうおそれや、尊厳死、安楽死に話が及ぶ可能性が全くないとは言えないからだ。

 この度の臓器移植法の改正で、私たちはそういうことを真剣に考えなければならない時代に否応なく押しやられたと考えなければならないのではないだろうか。

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